阪神大震災から20年…
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自分史
風化されつつある震災の記憶を忘れてはいけないと感じ、
記憶の一端をブログに書きます。
当時は新神戸から西宮市神原に引っ越したばかりで、長年勤めたベルリッツを退職し、友人と阪急夙川近くに小さな事務所を構えてた頃です。
そして震災前日は神戸市内、灘駅近くの友人宅で午前1時過ぎまでいて、
阪神高速が倒壊した国道43号線を通って帰った事を覚えています。
それが震災の約4時間前。
そして午前5時47分、凄まじい地震で目が覚め、
ベッドからまったく動けず、想像を絶する震度7の揺れを感じました。
4時間前に通過した場所です…。
不幸中の幸いか自宅アパートには被害はなく、
電気も一時間後には復旧し、テレビにて被害の甚大さを知りました。
(ガス・水道は一ヶ月以上かかりましたが…)
それから無謀にも車で夙川の事務所に向かったものの…
道路には亀裂、倒壊した建物で進めず、いつもなら15分で着くはずが二時間以上かかって到着しました。
そうしたら…夙川はとんでもない事に…
阪急電車の高架が落下して…
事務所のビルは無事だったものの
室内は想像を絶する状態でした。
近くのマンションは…
そして結局共同経営をしていた事業を友人に任せ、京都に逃げるように帰ったのは三月の事でした。
その後、震災のPTSDでパニック障害となり、
ずいぶん辛い思いもしましたが、
命を残していただいたので、
病気の苦しみなんて何でもないもんです。
(これについてはまた後日…。)
なぜか自分の中では震災は封印していたかもしれません。
震災から20年、記憶を風化させる事なく教訓とし、新たな災害地には出来る限りのことをしようと思っています。
共に被災した友人達。
体育館に来てくれたボランティアの皆さん。
炊き出しをしてくれた皆さん。
幸福の科学の豚汁は美味しかったです。
(布教をしなかったのはエライ!信心はしませんが…)
無事を泣いて喜んでくれた亡き両親。
同じく無事を喜んでくれた友人達
とりとめのない文章になりましたが、
多くの友人達と、阪神地区の同志達、
ありがとうございました。
今の幸せに感謝し、誠実に生きていきたいと思っています。
また、亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。
西宮市の震災写真はこちらから
http://www.nishi.or.jp/homepage/digital_library/shinsai/
神戸の震災写真はこちらから
http://www.city.kobe.lg.jp/safety/disaster/earthquake/earthquake03.html
決して風化させてはいけません。
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